読んだ本へのコメント

【どうする?どうなる?これからの「国語」教育】|共通テスト大丈夫?

どうする?どうなる?これからの「国語」教育

英語・数学・国語が2020年度入試から大きく変わろうとしている(他の科目は数年後)。

しかし、新しい入試の形式・内容・方法に問題点が指摘されている(今のまま進めば英語の試験は数年後すべて民間に委託される可能性がある)。

『どうする?どうなる?これからの「国語」教育』というタイトルから推測できる通り、国語の入試改革で「このままでは危険だよね?」と高校生の国語に携わってきた高校・大学・予備校講師による問題点と具体策を総合的に論じた著書です。

 

 

新しい入試の形式・方法に関しては私にはどうすることもできないし、考えたところでなるようにしかなりません。また、学校の先生の労働環境などに関しても立ち入ることは不可能です。ですので、以下書いていることはこれらの問題を考慮せず、入試の内容について私が思ったことを書くことにしました。

 

「文学派」「評論派」「実用派」

本を読んでいると改革は必要かもしれないがその内容を相当否定的に捉えている人、否定しながらも歩み寄る道はあると考えている人がいるなど、同じ否定派でも否定の度合いが若干異なっているということを感じました。

みんなが同じ意見をもって否定しているわけではないことを意識するために、「こころ」「羅生門」「山月記」など日本の伝統的文学を利用した国語教育が最も大切だという「文学派」。文学も大切だがそれと同等に思想・哲学・社会学などの文章(評論・)が重要だとする「評論派」。改革によって

実用派は法令・報告書・説明資料・案内文などを利用して社会人になったとき他者とコミュニケーションができる力を養うことが大切。

 

「論理派」は「文学派」と比べると「実用派」の考えを全否定しないが「文学派」側に相当寄っているので、結局は「改革否定派」と「改革推進派」の二項対立になるが)。

 

改革推進派

「文学なんて意味がないのでは?」そんなことよりも

 

改革否定派

そこで知ったのが、予備校で現代文の指導をしている方はほぼ例外なく哲学・思想に触れているということ。哲学・思想に触れ、自分でいろいろなことを考えている方たちが予備校で現代文を教えている。つまり、国語を通して自分という人間を形成してきた人だから、国語の重要性を実体験として経験しているので、現在行われようとしている入試問題の内容に納得できないのは当然といこと。

そして、彼らが主張するように文学よりも実用文を重視するようになると。答えのある問題に対応する力、情報処理力は身につくが、「自分で考える」力ではなく、与えられた門を整理し誰にでも。そこには自分の考えはないのだ。

 

今の改革を否定的に捉えている、例外なく言語学・哲学・文化人類学・社会学・心理学・思想などを学んでいる。そのなかで、自分と言うものを持っている。自分で考える力を持っている。

改革推進派は学校の勉強ができる。文章も読めるし理解力・論理力も人並み外れた能力の持ち主。そこに与えられた問題を論理的に考え答えを出せる力を大切だと思っている。

しかし、普遍的な正解がなくなった現代社会において、そのような能力に長けているだけではだめだ。それは一つの能力として大切かもしれないが。

今回の改革はおそらく混乱を招き失敗すると思うが、子供たちに求める内容が「自分で考える能力」ではなく、「与えられたものを論理的に考えられるだけ」それは、答えのない社会ではだめ。

 

国語

現在の高校「国語」は

  • 国語総合
  • 国語表現
  • 現代文
  • 古典

の4科目あり、「国語総合」が必修科目で、残りの3つが選択科目です。

今度の改訂で

  • 現代の国語
  • 言語文化
  • 論理国語
  • 文学国語
  • 国語表現
  • 古文探求

の6科目で、「現代の国語」「言語文化」が必修科目で、残りの4つが選択科目になるみたいです。

しかし、選択科目とは言うものの大学入学共通テストでは「実用的な文章」が出題されることになるらしく、それは「論理国語」が対応しているらしいのです。

つまり、「論理国語」は選択科目であるものの、入試問題として出題されるので高校の普通科は「論理国語」を当然のように選択せざるを得なくなるというわけです。残った選択科目のうちどれを選ぶかは高校が決めることになる。このようなことから、改訂後は文学的な文章が排除される傾向にあると考えざるを得ないと感じているみたいです。

 

 

しかし、実用派が勧めようとしている実用文を利用した論理、これは正直大学入試を本気でしようとしている子はそんなことをしなくても、大学入学後、社会人になってから普通に読めるようになると思う。なので、それらの教育を必要とするのは大学進学ではなく高校卒業後社会人になる人、勉強を避け文を読むことを苦手としている子に対してすれば十分だということ。

 

なので、実用文を大学入試に取り入れる必要性があるとは思えない。

そんなことをしては、勉強を避けてきたことが原因で文章を読むことを苦手としていた子が選択科目を受けなかったらどうする?という批判がでてくるだろうが、これを言ったら元も子もないが、勉強を避けてきた子は何をやっても勉強をしない子が大半(ルポ教育困難工を参照すればその実情がなんとなく見えてくるはずです)。結局、実用文を学ばなくてもできるであろう子にそれを無理やり学ばせ、それを学ばせることで、自分の考えを形成するために役立つ文学・評論(特に文学)を学ぶ時間が減ってしまう。

 

これは、子供たちにとっていいことはない。

 

今のままではやばいから実用文を論理的に読めるように。とはいう気持ちは分かるが、それをする必要がない人に学ばせ、必要な人は勉強をしようとしないので意味がない。

 

個人の考えとしては「実用的文章」を大学入試として入れるのではなく、センター試験は現行のまま。そして今まで通り2次試験で「思考力・判断力・表現力」があるか判断すればいい。

 

この本を読むことで、子供たちに何を学ばせるべきなのか、親が考える良いきっかけになるので読むことを勧めます。

 

 

そのご大学入試の国語って何?と言うことにつながり

今回の入試改革を

野口、市毛勝雄、新井紀子、野矢茂樹、上野千鶴子などは、文学よりも論理重視、法律などの実用文を論理的に読めるほうがいいと主張。