ピッコマの

隣の席の、五十嵐くん。

いい。

女子の人間関係の怖さが見える

 

 

ハブられてもやっていける人間。

そういう人間はそう多くないと思う。

 

そう考えたら自分は強い人間かもしれない。

高校1年の後半から2年前半まで完全に孤立して一人で何かと戦っていた。

これをいじめと捉えるかどうかって人による。

自分は一切イジメとは思っていなかったが、同じ状況になっていたらいじめと感じて高校に行かなくなる子やめる子は多いと思う。

いや、自分も、今の時代だったら、通信制高校が社会に浸透しているから高校を辞めていたかな…。

 

人間って強いものについていくから怖い。

固まっていれば何をやっても自分に見方がいると思ってとんでもなくひどいことを平気でしてくる(それに対抗する自分がいたからさらに敵を作るんだが…)

そして、もし自分がハブられたら・・・と恐怖して何とか周りとの関係を取り繕うとする

怖いから誰かとつるんで自分を強く見せようとする。

 

外見も大きく影響することをこのとき強く感じた。

もし自分がジャイアンであれば、自分の行動は周りに受け入れられ人が寄ってきていたはず。

しかし自分はのび太、のび太が調子乗ったら「のび太のくせに」となる。

 

 

特に中学生までは自分の環境を自分の力で変えることは難しい。

今の子供たちのストレスはネットが存在しなかった時代と比べ相当大きくなっていることを考えても

不登校を選ぶのは悪くはないと思う(不登校の子がすべてが学校で何かがあったからではないが)。

20年30年前はどんなことがあっても学校から逃げることはその後社会でやっていけない、弱い子、なんて思われる節があったかもしれないが(ちょっとしたことで逃げてしまう子はどうかと思わなくもないが)

「学校」というシステムそのものが適切なものかどうかも分からなくなってしまった現代社会において

「不登校」というだけで否定的に捉えることはできない。

必要なのは不登校になったとしても、自分の殻に閉じこもらないようにすることは大切(ただし他人と関係を持つことが苦手という場合もあるので、そういう場合は自分の中に閉じこもるしかないかもしれない。そうであったとしても、親と離れた時に一人でやっていけるだけの何らかの力を身に着ける努力は必要。正解がない世の中、何が正しいかわからない…、生きるってことそのものが冒険だな・・・)

 

 

もし学校がクラス単位になっていなければ陰湿なイジメは大幅になくなるだろうし

学校に行けない子も大幅に減ると思う

クラス単位のシステムだから、一体感を感じられるイベントができ、良い思い出をつくることができる良い面は確かにあるが(それを楽しいと思わない子も多くいる、楽しいと思うのはおそらくクラスで目立つ子)、

勝手に作られた枠に縛られそこから身動きが取れず、スケープゴートが作られやすいシステムでもある。

 

自分の興味関心や実力に応じて授業を選択できるようになれば

イジメは大幅に減るだろうし

不登校を選ぶ子も大幅に減る

 

みんな一緒

 

じゃないとダメだと考えるのはもうやめにしたほうがいいと自分は思う

 

人間には能力差があるので、同じことをやってもできる人とできない人がいるのは当然だし

得意不得意も違う。

自分の得意を伸ばせるようにしないと、枠にはめられなければ何もできない人間を量産する・・・かな?

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事