読書記録 vol.3
エーリッヒ・フロムの「愛するということ」のように
ちょっと宗教っぽく
何が書かれてあるのか理解するのが難しい
ものとは異なり
頑張れば10代前半からでも読めてしまう
自分と他者を見つめ直すきっかけ
自分に自信を持つ思考法が身に着けられる本
タイトル | 【愛の本~他者と<つながり>を持て余すあなたへ】 |
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作者 | 菅野仁 |
発行日 | 2004年12月22日 |
出版社 | PHP研究所 |
もくじ
こんな人にお勧め
高校・大学生を念頭に入れて書かれているので中心となる対象は10代後半~20代前半になりますが
10歳以上であれば
どの年代の人にも刺さる部分があるはずです。
たとえば
ダメだと分かっているのに
口うるさく何でも自分の思い通りにさせようとしてしまう
そういう悩みを抱えている親はPart1~3
を読めば
自分の言動をセーブするきっかけになるかもしれません。
自分にできることが少ない、何をやってもうまくいかない、友達と比べて見劣りしてしまう
という悩みを抱えている小中学生であれば
PART1・2・5
を読むことで
ありのままの自分を見つめられるようになるかもしれません。
社会のルールに縛られて生きるのは嫌だ、窮屈だ
と思っている大学生以上の人が
PART3・4
社会生活の不満に対処する方法を手にすることができるようになるかもしれません。
生き苦しさから解放される方法を教えてくれる
1970年~2000年くらいまでは自分と他者を比較するといったら
テレビの中の有名人
か
学校・塾・スポーツクラブで出会う容姿が良い子やスポーツができる子
くらいしかいなかったと思うのですが
同年代リア充一般人が私生活をさらすようになった2020年前後のネット時代(実際は自分の生活をネットにさらしたい人はリア充を周りに知らしめたいだけでやればやるほど精神的につらくなるので実際には充実した生活を送れていない人が大半だと思うが…)
比較対象が増えてしまったせいで
他者と自分を比べて自分を劣っていると感じる機会が何十倍にもなったような気がします。
しかも
2000年くらいまでなら
対象になるものが限られていたので
社会に生きる苦しさを本当の意味で感じるのは10代後半(高校3年・大学生くらい)だったのに
ネット時代は
10歳前後くらいから社会生活(学校生活)に息苦しさを感じるようになっているかもしれません。
科学技術の発達でなんでもできる社会になった代わりに精神的な安定を手にするのが難しくなってしまったのが現代社会・・・です?
そんな社会で幸せになるにはどうすればいいのか
幸せは自然と降ってくるものではなく自分の意志で創り出すもの
この本を読めば幸せになるための思考の仕方を身に付けさせてくれるはずです。
幸福の形
幸福の具体的な形が何なのかは、人によって異なる。
でも、人間の幸福にはある「一定の条件」があり、それはわりとかっちりとした形で取り出すことができる。
一人一人の具体的な生活の中の実際の活動において、幸福をつかみとる力を身に着ける必要がある
「自分にとっての<ほんとう>というのは、いろいろな活動の中で「これは自分にとってぴったりだな」とか(中略)自分の中に強く感覚されることだ(中略)でも、あたり前のことだけれど(中略)誰もが才能やチャンスに恵まれているわけではない
「一定の条件」には2側面あり
その2面を納得できるものにできれば幸せになれる。
そのためには今ある自分を受け入れること(これを聞くと「カールロジャーズ」を思い浮かべる人もいるはず)
自分にとっての幸せが何かを考えつつ、自分の限界を知ることも重要で
自分の能力を超えるものを求めては幸せを手に入れることは難しい。
この考えは私の考え方そのもので
特に私が塾講師もしていることもあり「勉強」という視点から見てしまうのですが
個人には能力差があるので、どれだけ頑張っても自分が望む結果にならない場合があるのに
それから目を背け(もちろん、今ある能力を高める必要はあるし、努力することを否定するわけではないないですが、限界があることを知らなければいつまでも無謀な挑戦を続けることになる。こう書くと「自分で自分の限界を決めてしまっては成長が出来ない」という批判を受けてしまうことになるが、それは分かったうえで、限界を知ることも大切。一定の努力をしても無理と思ったら「あきらめ」も必要。「限界がある」という言葉に引っかかって反論したくなる人は是非この本を丁寧に読んでもらいたいです)
親から言われるからただひたすら努力をする(私立中学受験をしている子の親の一定数は「子どもが自分でやると言い出したから」「やると言い出したから最後までやり続けなければならない」と責任を子に押し付けているんじゃないかと私は思っています)
これが果たして自分のためになることなのか
何が正しいか正解がない世の中では何とも言えませんが
子の現状を見て
辛い思いをしているかもしれないけどそれが本人のためになること
と思い込もうとしているのであれば
一度子の本心と向き合う機会を作るほうがいいと私は思っています。
この本をきっかけに、自分にとっての幸せを手にするために必要なことは何か、が見えてくるかもしれません。
欲望の形
自分の欲望の形がはっきりとしない多くの人たちは、自我の「弱さ」を抱えこまざるをえない。
社会と自分とのつながりがよくつかめないとき、「~したい」という自分の欲望をどのように具体的な形にしていったらよいか、自分がいったい何がしたい人で何に向かってがんばれる人なのかということが見えてこない。
私なんかは
これを読んで
自分を知ることが社会で生きていくために大切で
10代のうちに
自分が何に幸せを感じるか、何をやりたいのかを経験的に気づくことが自分を知るために必要なのかな
と改めて感じちゃいますね。
勉強は大切だけど勉強さえやっていればそれでOKなんて考えだと
自分が何をしたいのか考えないまま大人になっていく。
勉強をすることが自分の基礎を作るために役立つこともあるが
定期テストのためだけにひたすら暗記をするだけでは自分の基礎をつくることにはなかなかつながらない。
本を読んで、現実世界で経験できる以上の経験をすることで、自分を築き上げる、ことも大切。
「繊細な心」を持った人というのは「自我理想」が高く、そのぶん自分の能力の実現や他者との関係の作り方に対する要求水準が高くなってしまって、かえって傷ついてしまう
自分がどういう人間でどういうことができるのか、自分の限界・制限を知ることも大切。
この本ではこのようなことが表現を変えて繰り返されるているので
読んでいて何度も
あ~、自分(これを書いている私)が心の中で思っていることを言語化してくれている
と思ってしまいます。
心地よい家族関係
特に親は「自分の子ども」という意識が強く、いわゆる「自分の所有物」の感覚をついつい抱いてしまいがちだ。
けれども成長するにつれて子どもは「自分自身(自我)」を持つようになり、親にとっては「他者」となっていく。
子どもから見ても親はしだいしだいに「自分のことを100%わかってくれるわけではない」存在、その意味で「他者」であると感じられるようになることが多い。
子育てって、一言でいうと「子どもが自分の力で生きていけるように、親が一生懸命手をかけること」なんだと思う。
こういう言葉を聞けば
分かっているけど子どもと一定の距離を保つのが難しいどうすればいいかわからない
と悩んでいる親が
親子関係は様々あるが親が怖すぎて親に反発できない子が親から解放されたときどうなるか
また解放されないままいつまでも親という狭い社会の中に閉じこもってしまったらどうなるか
親には子供を育てる義務はあるが子供を自分の思い通りにさせる権利はない
親子は家族であり赤の他人ではないが他者である
こういったことを考え
思ったことを子にぶつける前に一歩立ち止まって考えることができるようになるかもしれません。
子どもが本を読むきっかけになるかも
読もうと思えば中学生でも頑張れば十分読める内容です。
小中学生は本を読む習慣がないと思いますし、物語以外で100ページを超す本を「読め」と言われて素直に読む子はほとんどいないはずです。
なので、親が一読した後子供に読んでもらいたいところを抜粋してちょっとだけ目を通すことから始めるのもありだと思います。
ところどころに
- 大きな物語の終焉
- ルサンチマン
- シニシズム
といったカッコいい表現があるので
こういう言葉が気になり、それを軸にして何かを調べるキッカケになるかもしれませんし
本の内容そのものに関心を持つことが出来れば関連する書籍に手を出してみたくなるかもしれません。
本を読む習慣がある子の多くは
に書いたように
誰かに無理やり本を渡され
「読め」
と言われて無理やり読まされたのではなく
まず自分の意志で本を一冊読む経験をし
それがきっかけでいろいろなことに関心が膨らみ
本を読みたくっていると思うのですが
この本がそのきっかけになるかもしれません。
この本は読みやすいのに(読みやすいからなのかもしれないが)
「自分で考える」ことができるようになっている(できるようになるというより、考えずして読み進めることはできないもの)
こともいいと思います。
愛の本?
『愛の本』というタイトルですが、「愛」に関することに一切触れていないように思う人がいるかもしれません。
そういう違和感を覚えた人は
「なぜ『愛の本』というタイトルにしたんだろう」と考えてみることで
この本が意味することを再度確認するきっかけになるはずです。
ここで私が感じたことを書いてしまうと余計な先入観が入ってしまうので書きませんが
なるほど
そういう意味でこのタイトルにしたんだろうな
と
さらに深くこの本が自分の心に落ちました。